本芝町会

本芝町会とは

本芝町会は港区芝4丁目の全域と、芝5丁目の一部区域の会員の皆さんから成る町会です。
江戸下町の粋と人情があふれる本芝をもっと住みよい元気な町にするべく活動しています。

町会の概要

本芝町会の歴史

町会の概要「本芝町会」は東京都港区芝4丁目にあります。 

 江戸時代東海道の整備によって「柴村」は急速に発展、「柴町・芝町」とも呼ばれ、周辺地域も「芝」と呼ばれるようになりました。寛文2年(1662年)町奉行支配となり本芝7ヶ町が成立しました。(本芝一〜四丁目、本芝入横町、本芝下タ(した)町(まち)、本芝材木町)
町会の概要  現在本芝公園のある場所は昭和39年頃まで漁船の入る入江になっており、魚市場本芝組の雑魚場(ざこば)として江戸前の魚介類が豊富に揚がり浅草海苔の生産地としても有名でした。古典落語の中でも屈指の人情噺として知られる「芝浜」の舞台にもなっています。上記各町の他、三田四国町の一部だった現在の東京女子学園近辺も入り、市電の通っていた第一京浜国道を境にして各々独自に町会活動を行なっていました。昭和14年統合し「本芝町会」として設立、発足いたしました。その頃の小学校区域は聖坂・南海・竹芝・芝の4校に分かれ就学していましたが、現在は統廃合により芝小学校の学区域となっています。昭和29年4月3日、本芝町会設立15周年記念として江戸無血開城を決めた勝海舟・西郷南州会見の地である薩摩藩邸跡(当時三菱自動車本社前)に記念碑を建立しました。
町会の概要  本芝の産土(うぶすな)神(かみ)である御穂神社(創建大永5年)・鹿嶋神社(創建寛永年間)両社大祭は芝浦一・二丁目、海岸二・三丁目を始め広く氏子の崇敬を集めました。戦前は本芝の海岸にあった花柳界の賑わいと共に露店も多数並び、祭囃子に誘われて夕涼みがてら浴衣姿の大勢の人が参拝に訪れました。しかし月日が流れバブル期の地上げによる人口減少と共に昭和63年を最後に町会による祭りは行なわれていませんでした。しかし平成3年より青年部の協力により地域住民の和を広げるためのまつり「本芝フェスタ」を開催し現在まで隔年に行なっております。平成18年「芝4丁目開発計画」に伴い鹿嶋神社の地に両社を合祀し「御穂鹿嶋神社」となり、11月新社殿を建立、遷座祭が厳粛に執り行なわれました。初めての盛大な宮神輿渡御を経て11月26日無事奉祝祭を終えました。平成20年6月の祭礼より隔年で、氏子各町会持ち回りで宮神輿渡御を賑やかに行なう事となりました。
 なお町会内には稲荷社として神社内に1社、旧御穂神社跡に幸(さき)久(く)稲荷、長井ビルに水守稲荷があります。
町会の概要  町会名は昭和39年の住居表示変更により「芝四丁目町会」として活動していましたが、町会員の強い要望により平成18年4月1日「本芝町会」が復活しました。高層ビル・高層マンションも建ち街並みも変わりましたが、今年で21回目を迎える「企業と町会との親睦会」を始め町会活動が活性化し喜ばしい限りです。落語「芝浜」にある様な人情味あふれる「『おはようございます』と声を掛け合える街づくり」を目指しています。

※歴代町会長名 横澤喜一郎・佐藤 新吉・齊藤  武・綿貫 芳雄・降旗 顯英

                             文責 副会長 山中 和美

本芝について

東京都港区芝4丁目は、昭和39年の住居表示実施前まで本芝1〜4丁目という町名が使われていました。「本芝」という呼び方は、芝の中でも江戸時代よりも昔から開けたところで本来の芝という意味で本芝と呼ばれました。
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江戸時代の古地図

江戸時代にはこの付近一帯の海岸は「芝浜」と呼ばれ、その中に「雑魚場(ざこば)」と呼ばれる魚市場がありました。小魚や魚介類などが豊富に水揚げされ、「芝肴(しばざかな)」と呼ばれ江戸の人々に賞味されました。落語「芝浜」の舞台としても有名です。
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昭和8年の本芝の地図


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現在の本芝

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昭和38年雑魚場で現在の本芝公園

江戸末期以降には漁獲量も減り、 周辺の湾岸も徐々に埋め立てられ、昭和45年には遂に雑魚場のあった海岸も完全に埋めたてられました。現在ではその跡に本芝公園があります。

史跡・旧跡

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御穂鹿嶋神社

場所:東京都港区芝四丁目15−1

もとはそれぞれ別の神社であった御穂神社と鹿嶋神社が合祀されて御穂鹿嶋神社となっています。御穂神社は文明11年(1479)、鹿嶋神社は寛永年間(1624〜44)の創祀と伝えられています。

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御穂鹿嶋神社狛犬

江戸時代に氏子より奉納されたものと思われ水準点が刻み込まれている。
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御穂鹿嶋神社天水桶

江戸時代に本芝四丁目の氏子が奉納したもので狛犬同様、往時の物を移築したものです。
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ご乗船場跡

昭和39年ごろまでは神社の前まで波打ち際で雑魚場として江戸前の魚が上がる場所で有名でした。西郷隆盛も船で薩摩屋敷に向かう時にはこの場所から陸に上がったかも知れません。
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薩摩蔵屋敷跡

場所:東京都港区芝5-20-20

現在では第一田町ビルの建っているこのあたりは江戸時代は松平(島津)薩摩藩所有の蔵屋敷でした。慶応4(1868)年3月14日、幕府の陸軍総裁・勝海舟がこの蔵屋敷に西郷隆盛を訪ね、江戸開城に向けて最終交渉を行ったことから、「江戸開城 西郷南洲・勝海舟会見之地」の石碑を本芝町会設立15周年記念として建てられました。なおこの書は西郷隆盛の孫の西郷吉之助によるもの上記白黒写真にもご本人が写っています。探してみてください隆盛に似てますよ。

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石碑の裏

本芝町会がこの碑を建立したいきさつが彫ってあります。

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浄土宗 正念寺

正念寺の山門です。この町会内に残る唯一の木造の門です。
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正念寺境内の井戸

これも町内唯一の井戸となりました。
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浄土宗 宗光寺

ビルに建て変わり、昔の面影は門柱の名跡だけですが、誰でも利用できる葬祭場として「三千会館」を併設しています。
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宗光寺境内の灯篭

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浄土宗 法音寺

壁画と本堂内部の装飾が綺麗なお寺です。
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法音寺境内の涅槃佛

このお隣にはお地蔵様が立っておられます。
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芝濱囃子の碑

神社前にあり昭和53年芝濱囃子設立20周年を記念して建立したもので、題字は寄席文字の大家「橘右近」によるものです。
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希望の塔

元は芝4−4にあった交番の脇に昭和30年ごろ国旗掲揚塔して再建したものです。現在は神社の脇に移築いたしましたが、よく見ましたら碑の脇に昭和10年本芝神輿会建立と書いてありましたので、由緒については調べてみます。
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幸久稲荷

現在も旧御穂神社跡にありお守りいただいております。2009年5月29日に鳥居を設置し再建しました。
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正一位水守稲荷大明神

芝4−4の新築のサンライズ長井ビル1階にありガラスケースに入った綺麗なお稲荷様です。長井家によりお守りしていただいていますが、地域の守り神でもあります。いつでもお参りしてください。
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幸久稲荷

現在も旧御穂神社跡にありお守りいただいております。2009年5月29日に鳥居を設置し再建しました。

祭礼手拭コレクション

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平成26年

今年は紺でした。
青年部さんからの要望でした。
紺は色合いが難しいのですが。
ぴったりの濃淡で自慢の手拭になりました。
専門家の佐藤商店さんに全部お任せでした。
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平成25年

祭礼の手拭はずっと足立区谷中の佐藤商店さんです。
今年は金型を新しくして発色が以前よりきれいです。
今年は山吹色(やまぶきいろ)に黒です。
初めての色でしたが大好評でした。
いい色です。
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平成24年

祭礼の手拭は今年も足立区谷中の佐藤商店さんです。
今年は浅葱色(あさぎいろ)に紫です。浅葱色は新撰組の色です。
紫の染めは多少値段がかかりました。
2年ぶりの神輿・山車が町内を巡行します。
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平成22年

祭礼の手拭は足立区谷中の佐藤商店さんにずっとお世話になっています。
今年は新宮神輿ですので明るい色にしようということになり、花見の会の日に役員が集まった際決定しました。
からくれない地に本芝はとびいろを使用しています。
赤と黒では決してありません。
こだわりを感じていただけますか。
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